2011年05月02日

三度、被災地へ行ってきましたの巻き

4月19日〜21日:仙台市若林区から石巻へ。

中部国際空港から、臨時便の出ている山形へ。

そこからは、ひたすらレンタカー。

仙台みやぎNPOセンターをお借りして。情報交換。

ダイバーシティー研究所の田村太郎さんと。http://blog.canpan.info/tamurataro/

石巻に入っているみらいず河内君と。http://suminoeman.blog86.fc2.com/

若林区スタンド.jpg

その後。まずは、仙台市若林区へ。

一緒に行った。「北海道地域福祉の雄」ゆうゆう24の。

ゆうゆうHP http://www.yuyu24.com/rinen.html

大原親分と小西若頭も。すっかり言葉を失う津波被害の恐ろしさ。

若林区流木.jpg

海岸沿いの建物なのですが。2階のさらに上の吹き抜けに。

海岸から流れてきた松の木が引っかかってますからね。

この高さを越える水があった訳です。

たくさんの犠牲者が出たのも当然です。


その後。河内君が頑張ってソーシャルワークしている石巻へ。

浸水.jpg

奥に見えるのが、石森章太郎萬画館。

石巻は。地面が下がったようで。満潮になると一部地域で浸水があります。

せっかく助かった家でも。この浸水で住めない所があります。

避難所.jpg

避難所に行きました。

最大1500名いた避難者も、300名切る位の人数に。

人数は減ったのですが。この300名はそれでも移るところがない訳です。

というか。

自力では次のステップが組み立てられない人が多いと感じました。

学校というそもそも暮らしの機能がない所での長期に渡る生活。

皆さん、疲れを感じました。

学校が始まるとのことで。教室から体育館に移るとのこと。

体育館の方が、プライバシーなどを構築できないので、過酷です。

避難所によって、かなり状況が違うようですが。

この避難所では、高齢で介助が必要な方もいました。

看護師はいましたが。福祉の専門家は来ていないとのことでした。

黒い学校.jpg

「黒い学校」と石巻で呼ばれ始めている学校です。

手前は、お墓。

誰かが、この瓦礫の集まりのようなお墓に。

新たに埋葬されたのでしょうか。

そっと手を合わせることしか出来ません。


石巻へ。支援に入ろうかと思っていましたが。

寝ずの頑張りで。行政や社協パンク状態。宮城県も何か機能不全。


避難所に支援が必要な人がいて。僕が介助者だとして。

すぐにでも、目の前の人を介助をしたいけれど。

しかるべきルートの許可なく勝手に支援することが出来ないとのこと。

どうして?


この震災の現場に行ってずっと感じる不全感。イライラ感。

融通の利かないマニュアル対応しか出来ない人間が。

ボトルネックになっている。

しかも。そういう人が。なぜか大手を振っている。

この国の根本的な問題だけれど。それにしてもひどい。


まあ。そうは言っても石巻は。

仙台から近いということもあるのか。いろいろな団体が入っていて。

他の地域よりは、支援がたくさんあるので、復興への胎動を感じます。

せっかく助かった命が。大切にされますように!


ゴールデンウィーク。石巻は、すごいボランティアが来るようです。

なので。僕は他で頑張ります。
posted by toeda at 21:59| 愛知 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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