2005年03月29日

柴田勝家・お市夫妻を想うの巻き

日曜日に、福井市に行って参りました。

 仕事というか、講演で行ったのですが、ついでと言っちゃあ何ですが、福井市といえば、
秀吉に攻められた柴田勝家が、腹を十字にかっさばいて、信長の妹、お市の方と死んだ、
北の庄城があった場所。歴史好きとしては、何としても、現地に行かねばなりますまい。

柴田勝家を知らない人は→http://kotatujo.cool.ne.jp/hyo/itiran/itiran/sibata.htm

 「鬼柴田」と言われ、織田信長の重臣として活躍した柴田勝家。信長の死後、秀吉と争い、
最後は、城を枕に、自刃して果てました。一緒に死んだ奥方のお市は、はやり信長に攻めら
れて死んだ、浅井長政に一度は嫁ぎ、その死後、柴田勝家と再婚して、またの悲劇。

 「お前は3人の娘とともに逃げなさい」と諭す勝家に、お市は、「また私を未亡人にする
のですか。もう、私をひとりにしないで下さい」と言って、一緒に添い遂げたそうです。
 
 残された、3人の娘(実の父は浅井長政)も、すごい人生を送ります。
 長女は秀吉の側室淀君。三女お江は将軍秀忠正室。次女お初は京極高次に嫁ぎ、大阪の陣の
折には、徳川の使者として、豊臣側に降伏を勧めに大阪城に入ったりしています。

柴田勝家、お市、そして3人の娘がつかの間の幸せを楽しんだ北の庄城。

北の庄blog2.jpg


 最近発掘された、北の庄城の石垣は、江戸時代に入った家康の次男・結城秀康が福井城を
作る時に破壊したことがわかったとのこと。

なんか、しみじみしませんか。強者が歴史を作るとはいえ。なんか。しみじみ。

 柴田神社というところに、その発掘された北の庄城の石垣が展示されています。

北の庄blog.jpg

 その後、福井市立郷土歴史博物館に足を伸ばし、大好きな坂本竜馬とも親交のあった、幕末
の福井藩主松平春嶽の遺品などを見ました。

 幕末、安政の大獄で斬首になった、福井の志士、橋本佐内が使っていた、本箱が、展示されていました。

橋本佐内blog.jpg


「急流中底之柱 即是 大丈夫之心」

「急流の中で押し流されずに立っている柱こそ、立派な男子の心の姿である」
そう、本箱に佐内の直筆で書いてあります。きっと、これを見て、自分を奮い立たせ、
明治維新へ向けて突き進んで死んでいったのでしょうね。うーん。深い。
僕はすぐに流されそうになるものなぁ。まだまだ未熟です。佐内先生!
 
「人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ」
「誰にでも何かの仕事に適する素質があります。世の中が必要とするものは多く、
 自分が役に立てる仕事がない、などとということ決してありません」

 これも、佐内が残した言葉です。本当にそうだと思います。すべての人に何らかの役割が
あって生きている。

勝家・お市にしろ、佐内にしろ、生きたくても生き続けられない人生があった。

頑張って、日々を過ごさないとですね。そう思えた、福井の一日でした。







posted by toeda at 00:51| 🌁| Comment(3) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
季節も世の中も大きく変わるこの時期に、
とてもいい一日を過ごされたのですね。

人生50年生きてきても、
「自分なんて必要ないんだ」と拗ねたりヒガんだり、
まだまだ心のお勉強が足りない今日この頃です。

お市の方のように、凛々しく毅然と生きていきたいものです。
とはいうもののぐらぐらゆれる毎日・・・。
Posted by 永田 at 2005年03月29日 08:46
自分の出来る事を
がんばろっと。
Posted by naito at 2005年03月29日 12:14
せわしい毎日ですが、たまには、心に栄養補給を
しないとと、時間を見つけては、どこかを見たり、何かの展示会に行ったりしています。

福井は、日帰りだったので、講演後の3時間が
勝負でした。(−−)

最近、かなり遠くに行っても、日帰り。
世の中が思っているより、無理な移動をすること
で、愛知にいます。

そういう意味では、心の洗濯はできても、
体は疲れるばかりですね、出張は。


Posted by とえだ at 2005年04月02日 01:00
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