故郷、群馬県の太田市に行きました。
実家を継いだ戸枝家7兄弟の末っ子が。メデタク結婚。
その都合で。実家に住まないことになり。継ぐ人も特にないので。
実家を壊し。更地にして、売りに出すことになりました。ということで。
実家の見納め。さよならを言いに。
両親が死んでから。2人がいないことを確認するのが、なんか嫌で。寄り付かなかった実家へ。

大工だった親父が建てた。トタンの外壁、平屋の小さな粗末な家。
よく、この家に、7人兄弟と両親、9人が住んでいたよなぁと。しみじみと思いました。
長淵剛の歌で、「LISENCE」ってのがあるんですが。家にいる間、ずっと頭の中に流れてて。
「バラック小屋にぃ〜♪ 9人ぐらしでぇ〜♪ とてもしあわせぇ だぁったぁあぁ〜♪」

汚い台所。昔は、これよりもっと汚かった。ゴミ屋敷ってやつ。そういう家だった。
それでも。9人が毎晩集まり。一日それぞれに出会った出来事を語り合い。楽しかったな。
両親が死んで。家が無くなり。もう、戻れないんだなぁ。本当に。
ぶどう社さん http://www.budousha.co.jp/ から、本を出すことになりそうで。
僕の福祉をやっている動機は、この家にいた頃のことが動機なので。
曖昧な記憶を整理して、一生懸命、その頃のことを考えていたところで。
このタイミングで、家がなくなるのは。本当に人生の節目なんだなぁと。そう思います。
次のステップに。前向きに行けるように。
ぶどう社の本を書くことで。しっかり、総括しようと思います。
家を最後に出るとき。もう、この家に会えないんだなぁと思ったら、やっぱり泣けてきて。
玄関で1人、深々と頭を下げて、お世話になりましたと呟きました。
もう、帰るところがないんだなぁ、俺。
最近、知多にもずっといるのかなぁと思うし。もう、必要ないんじゃないかと。
本当に。根がない人生になりそうな気がします。
まあ。その時々で、自分を大切に思ってくれる人がいるところで、生きて行くだけですな。
そして、のたれ死んだところで。終わればいいや。
「いいね!」だけど「のたれ死んじゃだめです!」です。
戸枝さんを必要としています。ほんとに。
「生ききって、野たれ死に」は私の理想。
あ。おめざ、ありがとうございました。
勝部様>そうかぁ。他の人が実家に住んでいるも、
パターンとしては、ありますよね。
何か、それはそれで、複雑ですね。(^_^;)
勝部さんが、今の時代の豊中ではなくて。
あの頃の太田市で仕事をしていらしたら。
ぜひ、あのごみ屋敷を。
何とかしてもらいたかったですわ。(T_T)
堀越様>うーん。むそうが出来たときに。
おかんが、強く、ひろもと帰ってきてと言って
いたら、間違いなく、群馬に帰ってましたね。
社会福祉法人になって。もういいかと思ってましたし。
母も相当、調子が悪かったですから。
そんな話し合いをしているうちに逝っちゃいましたけれど。
群馬もぼちぼち、地域生活支援を頑張る事業所が
出てきましたよね。
そうかぁ。
僕の定義における。在宅支援事業所しかないか。
もう、一頑張りっすかね。
とりあえず。今僕がふるさとに出来ることってことで。
10月に。吾妻郡に講演に行きます!
だけど、あの家が無くなってしまうのは、なぜか、私自身も確かに寂しい。
私は、しぶとく群馬県桐生市で生きていくし、一部太田市を拠点としている活動もしています。
気が向いたら、群馬の東毛地区にもゆっくりしに来て下さい。気長に連絡を待っています。
よかった、出版されるのを楽しみにしています。
なかなか、群馬にもご縁がなくなって行くかもだけれど。
故郷なので。大事に想っていきたいと思います。
naito様>そうです。想いに応えるのです。
お世話になりっぱなし過ぎなので。
頑張らないとです。
って。ことが、わかるnaitoさんってすごい。
僕がビックになったら、保存の動きもあるでしょうか。
って。あるわけないか。(^_^;)