2012年09月21日

このままでは老障介護まっしぐら!の巻き

自立支援法で入所施設が増えなくなった。

でも。ケアホーム等が必要なだけ増えていたりはしない。


団塊の世代が60歳を迎え。

いよいよ障がいのある子どもの家庭での介護負担に耐えられなくなり始めている。

しかも、その人数が半端ないですからね。団塊の世代は。


なのに。

ホームを作ろうと思うと。既存の建物の改築なんて、ほとんど不可能。

今、むそうでもホームのために既存建物の改築やろうとしていますが。大変!(>_<)

建築基準法で。消防法で。いろいろ面倒な規制がある訳です。


寄宿舎扱い(学生寮や社員寮などと同等)であっても。

避難する経路は、天井上まで防火の壁入れろとか言われて。

家自体を全部壊さないといけなくなったりして。

そうだとすると新築のが安くなったりして。

そうだとして、そんなお金はどこからも出てこなくて。


さらに、福祉施設扱いになると。

ハードルはさらに上がり。廊下の幅が普通の家と同じじゃダメとか。

スプリンクラーがっちり入れろとか。そうなるわけです。

スライド1.JPG

鳥取県で。すでに住んでいたホームが。

基準を満たしていないということでお取り潰しになりました。

「寄宿舎扱い」の基準に満たないと。明治時代の古民家ですよ。無理に決まってるわ。

障がい者は。古民家で暮らすというライフスタイルは選べないんですね。

そういうことですよね。



最近。建築行政会議という建築基準法の運用を話し合う行政マン達の会議が。

「長崎、札幌と火事相次いだし。ホームはやっぱり福祉施設扱いで徹底指導してこう!」

「おう!」と決めてしまったとかで。この動きが厳しく加速しないか心配でしんぱいで。


ホームを作るときの問題として。もうひとつあるのが。「差別」の問題。

反対運動などが近隣住民から起こって。ホーム設置が出来ないという問題です。

スライド2.JPG

岐阜県。僕から見てのがっちがち主観ですが。最低ですね。

差別禁止条例を努力して作るでもなく。地域福祉にチャレンジすることを放棄して。

病院や施設の敷地にホーム建設出来るという規制緩和。最低ですね。


ただ、そうでもしないと。団塊の世代の介護負担が限界を迎える中での。

家庭に変わる障がいのある方の命と暮らしを護る場は確保出来ないというリアリティが。

岐阜県には。間違いなくあるということも理解しているので。

この方向性を。僕としては断固認めたくないと思いますが。リアリティだとも思います。

こんな悲しい規制緩和が。リアリティになっちゃうくらい。ことは切迫しているのです。


そもそも。

6時間か7時間の支援である日中活動と。深夜早朝を含む15時間近いホームの支援とが。

ほぼ違わない報酬単価であるという。とんでもない運用が。大問題なんだと思います。

ホーム支援者は。夜眠れなくても夜勤じゃなくて、宿直扱いで介護報酬が算定されている。

こんなごまかしで。障がいのある方の暮らしにしっかりと向き合ってくれた。

心ある世話人、生活支援員の皆さんが潰れていくのは、悔しすぎる。


入所施設という仕組みでいいと思っている施設系業界団体と。

昼間の就労支援とか訪問系とかでの関わりしか。

自分達の守備範囲ではないから関係ないと割り切り。

ホームなんて夜勤あるし、報酬安いし、やりたくないねと思っている在宅支援団体と。

日本の障がい福祉の業界団体は。残念ながらそういう所が力を持っているんですよね。


数少ない。ホームを必死に作り。地域密着で頑張っている団体は。

日々が大変過ぎて業界なんて作れない。どうしたもんでしょうかね。

だから、誰も業界として老障介護問題を叫ばない訳です。


親の会とか。当事者団体が。そこを突かないとダメだと思うのですが。

ホームで。本人らしい暮らしを地域生活支援でと思っている比較的若い親たちは。

面倒な役割を嫌って。

政治や行政に働きかけをすることが出来る既存の親の会などには入らない。


だから。どんなに自立支援協議会やっても。障がい福祉計画作っても。

比較的若い世代の新しい形のニーズは。潜在化したウォンツのままで放置される。

その結果は自己責任か?親の自己責任は問えても。物言えない本人も自己責任か?


そして。刻一刻と。団塊の世代の介護負担限界という爆弾が爆発しようとしている。

なのに。工賃倍増計画とか。相談支援の充実とか。手の付けやすい。金のかからない。

本質問題から逸れた。上っ面な流れが、あたかもアリバイ作りのように流れている。


「ホーム倍増計画」が欲しい。

そしてそれは。立派はコンクリートのホームを作ってくれってことではなくて。

その地域の歴史と文化を受け継ぐような暮らしも出来る。

素敵な古民家でたおやかに暮らせるような。贅沢でなくても、その人らしい家が持てる。

建築基準法や消防法の無駄な押しつけをやめるルールにして欲しいってことです。


ホームは家だ。普通の家でしかない。そうはっきりと決めて欲しい。

法人と利用者の合意に基づく自己責任で。

もちろん必要な安全上の配慮を精一杯するという前提で。

古くても。ちょっと変わった構造でも。楽しく私らしく暮らせる建物なら認めて欲しい。


さらには。障がい者がひとりでいろんな人と暮らすことも認めて欲しい。

ホームの介護報酬が。ホームという建物に支払われているのではなくて。

ただ、本人の暮らしに必要な支援に支払われてるということに。

個人に付いている介護給付であるということに。する必要があると思うのです。


障害程度区分に応じて。この位の支援がいる人だったら、その暮らしを支えてくれたらナンボ。

して欲しい支援の中身はこういうことと、こういうことでと決めて。

それを後見人や行政がやっているかチェックして。

報酬を払うという感じにならないでしょうかね。


建物から解放されれば。

息子2人が東京に行って帰ってこない元気な老夫婦の家に。

障がいのある方が下宿的にお世話になり。朝晩のごはんをその夫婦とともにして。

和気あいあいと暮らし。

夫婦が自分の年金+障がいのある方の家賃+αのお金を受け取るなんて感じの。

介護報酬が複層的に価値を持つ仕組みも構築出来るのではないでしょうか。


もっといえば。年老いた障がい者の親と。

障がいのある子どもが同居で暮らしていて、親が老いて支援が必要だとして。

子どもが親と同居でも。その親子が暮らしている家のままでも。

包括的な介護報酬が支払われる仕組みで。他人がその家に入り。

本人を支える仕組みができないでしょうか。

もう、そういった暮らしの支援まで睨まないと。間に合わないとひしひしと感じます。


そもそもの疑問としては。どうして障がい者は。

障がい者の集団と。グループで暮らさないといけないのでしょうか。


そういう意味で。

「ホーム倍増計画」は。建物の建設補助金増額というだけの意味ではなく。

介護報酬見直しと暮らし方や建物確保の規制緩和という方向性でお願いしたいのです。


う〜。何か。思うこと有り過ぎて。取り留めのない文章になってしまった。(^_^;)

この問題は。1月のふわりんくるーじょんでも。

主題として取り扱いたいと思っているテーマです。

もう、障がい者運動とか、団体とかうんざりだなぁと思っていましたが。

僕の実現しなければならない仕組みが既存のものと違う以上。

社会提案する組織がやっぱりいりますね。

どの組織で誰と連帯して社会提案するのか。今、とても悩んでいます。
posted by toeda at 22:43| 愛知 ☁| Comment(10) | TrackBack(0) | 福祉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私が使っている法人は、ホーム増やし過ぎでは?と思っています。
ホームへの派遣と在宅への派遣を分ければいいのにと思います。
そんなにホーム増やすから在宅になかなか来れないんだよー。利用でパンパンになるんだよ。と愚痴ったりもしています。
日本の福祉など全く考えていない当事者の戯れ言でした。
Posted by はるた at 2012年09月22日 17:23
はるた様>コメントを読ませて頂いて一瞬。

うちの利用者のクレームかと思いました。(^_^;)

うちも。当然。

ホーム利用者を在宅より優先していますから。


在宅の人と。親がいないホーム利用者と。

どちらかにしか支援に行けないとしたら。

在宅の人が後回しになるでしょう。普通。


地域福祉が充実していると言われてきた知多でさえ。

ホームヘルプ事業所は、万年人材不足。

次々に事業所が閉めていますよね。

で。むそうにどんどん申込が。

でも。うちにも供給量の限界が。

誰でもいい訳ではないですからね。ヘルパー。

最低限の質を。これでも心掛けている訳で。


必要なだけ、支援が欲しいなら。

それが供給されない背景に利用者が気付いて。

何らかのアクションを起こさないと何ともならない。

地域支援業界なんてありませんから。

事業者からのアクションでこの現状は変わらない。


利用者はただの消費者ではなく。

賢い消費者になって。

日本の福祉など、真剣に考えないとダメだと。

言っている訳です。
Posted by とえだ at 2012年09月30日 18:14
>「何らかのアクションを起こさないと何ともならない。」

何らかのアクションというのが、具体的にどういうことなのか、何をすればいいのか分かりません。ケンカを売っているわけではなく。
Posted by はるた at 2012年10月07日 19:51
はるた様>そうですねぇ。

例えば、半田市なんて、この春。

他市に誇るべき、先進的な市町村事業をザックリ廃止。

福祉も聖域なき見直しとかで。予算削減のため。

切り方下手くそだから、その事業やめたために、
結局予算増えちゃったりしている始末だけれど。

で。

そうだとして。

それが、自分達の子どもの生活に僕から見て、
かなり影響があるのに、親達はノーリアクション。

まあ。仕方がないかと。

ひとりひとりが何か言っても、行政は変わらないと。

ひとりひとりの力が弱ければ。

集まればいいじゃない。

行政がダメなら、それを牽制する政治を変える
努力をすればいいじゃない。

てなことですね。

傍観者と評論家の集団では。

世界は変わらないってことですよ。

これ以上の具体的アクションプランは。

また、煽っているって役所に怒られるので。

まあ。

自分達で考えて下さいって事で。
Posted by とえだ at 2012年10月10日 22:37
とえださん
貴重なお時間を割いてコメント下さりありがとうございます。
僕も本当のところは、とえださんの意見はよく分かります。

最近は、そのおっしゃる「集まり」が、小規模で乱立してるような印象を受けています。それぞれいろいろあって。
だからと言って、一つの巨大なものができるというのも変な方向にいく可能性はありますが。
そういうことを最近、思っていて思考停止中ぎみ、どこにも所属してません。。。
Posted by はるた at 2012年10月14日 17:51
はるた様>そうですねぇ。その通りです。

求めるライフスタイルが障がいのある方も多様化
しているので、要求が多様になるということと。

障がいの違い毎に、団体が細分化されて出来ている
ことと。


いずれにしても。

その共通性で手をつないで運動するのではなく。

その違いで互いに反発し合っている。

いずれにしても、政治や行政からするとあしらい
やすい状況に。

なっていると思います。


あなたの団体はそう要望しているけれど。

他の団体や個人はそんなこと望んでいないと。

あしらいやすい。そういう状況。


同じ生きることにハンディがあるもの通しが。


その要望は自分の暮らしには関係ないけれど。

あなたには、とても重要な事だよねと共感し。


その替わりに。

自分の要望をまた、共感してもらい。

要望でお互いに助け合うというのが。

真に力のある運動のための重要な要素だと。

そう思うのですが。


まあ。これは、業界団体も一緒ですよね。

ミッションの些細な違いと。

主催者の人間的好みの合う合わないで。

ば〜らばら。


リーダーが出ないとかじゃなく。

まとまる時代的要素がないんじゃないかなぁと。

まあ。平和なんですよ。団体も業界も。


この平和は、間違いなくバブルですけれどね。
Posted by とえだ at 2012年10月15日 22:31
 戸枝さん、共感また共感です。おっしゃる通りですね。
 先日は「普通に生きる」の上映ありがとうございました。プロデューサーの貞末さんが、戸枝さんのこと関心しきりでした。戸枝さんと話して「とっても勉強になりました。お若いのに素晴らしいヘッドです。育てる力のある方だと思いました。」
 若きリーダー戸枝さんが、いてくれるから国の政策を変えてくれる、待っていればいいような甘えが私にありました。
 福祉の遅れた静岡からも発信していかなければいけませんね。
Posted by 小沢映子 at 2012年11月21日 17:27
小沢様>ご無沙汰です!

僕に育成力・・・
本当に。もっとも欲しいものです。(>_<;

経営の8割位、スタッフの育成を考えてますね。

その位、人を育てるのは難しいっす。


まあ、でも、お陰様で。

幾人かのスタッフに、あなたが人を育てて
みなさいといえるようになってきていますので、
これからが楽しみなむそうではあります。

映画、感心かんしんしながら見ました。

ドキュメンタリー映画「普通に生きる」

http://www.motherbird.net/~ikiru/


いろんな評価があると思うのですが。

僕は、地方分権一括法で、福祉のあり方が、
都道府県レベルで否応なく議論され、格差も
出来るに決まっているこれからに。

小沢さんが、市議会議員に障がい者の想いの
代弁者として自らなられて。

さらに、静岡県のネットワークを作っていると
いう。

与えられる当然、頂戴ちょうだい障がい者運動
ではなくて。

危機感持って、民主主義をまじめに、具体的に
動かしているという実践として。

小沢さん達の運動のすごさがあると思いました。
Posted by とえだ at 2012年12月04日 17:09
初めまして。

うちもケアホームを!ということを目指してきましたが、「違うんとちゃうか?」と思い始めています。

障がい者や認知症の高齢者が「家庭的な雰囲気の中、少人数で暮らすのが望ましい」とされるCHやGHですが、要するに「介護の効率化」という支援者側の都合が先にあるような気がします。

だって僕も20代のころにホームシェアをして暮らしたことがありますが、それを「一生続ける」という気にはならなかったし、そういう選択はなかったから。

親なき後もそれまで暮らしてきた家で、「個別支援」ができればそれでいいし、親と暮らすのが困難ならば「一人暮らし」をしてそこをしっかり支えればいい、というだけではないかと。

GHやCHで小規模施設化してホントにいいのか?と問い続けています。
Posted by daisaku at 2013年01月17日 06:53
daisaku様>まったくおっしゃる通り。

一人ひとりが住みたい所にふつうに住むのが理想。

僕もそう思います。


介護保険とか、子育て支援とか、障がい福祉とか。
医療の制度まで。

全部一体的な制度運用に改めて。

例えば年老いた母と障がいのある夫婦、
その子どもが2人いるとしての必要な支援で。

全部同じ制度、ひとりひとりの個別支援プラン
はありつつも家族としてひとつのケアプランで。
ヘルパー1日何時間支給決定というのが。

1番シンプルで効率的だと思います。

僕もそう思います。


でも。


現状は、そんな制度設計になってないし。

それに必要な人員がきちんと支給決定される
ボリュームの社会保障費になってないし。

地域福祉人を標榜していた人達が、
規制緩和で入所施設を作りやすくするための
運動を一生懸命やらないといけないという
情けない状況が今のリアリティですよね。


そうだとして。

団塊の世代の親が倒れるタイミングが切迫して
迫っている中で。

Bestな選択は諦めずに目指すとしても。

よりBetterな状況は、確実に勝ち取ろうとして
むそうは動いています。


丁度、今日、新しいホームが完成しました。

家族がお互いの気配を察し合えるということを
前提に、あえてプライバシーを少し無くしている
のが家族居住前提の建物で。

それのシェアハウスでは、お互いの我慢が募る
ので、3000万以上掛けて、リホームハウスを
作っている訳です。

もちろん、4人の利用者で支援者はひとりしか
夜は置けないという支援者側の都合は押しつけ
つつも。

その前提条件の中での最高の個別性は実現した
ホームになったと自負しています。


理想に向かって。

具体的な実践とそれを整理することでの制度提案
が日本中で起こるといいですね。

具体的に。具体的に。


あれこれ。議論している間に。

今日も、介護放棄された障がいのある方が、
日本のどこかで声にならない悲鳴を上げている。

その声なき声に具体的な支援が早く届くように。

自分のできる精一杯で。諦めずに前に前に。
Posted by とえだ at 2013年01月18日 18:51
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