カマキリを見ると、子どもの頃にあったあることを思い出します。

小学生、もしかしたらそれ以前からムシキングだった私。子どもの頃からカブトムシやクワ
ガタなど、昆虫採集が大好きでした。
ある秋の晴れた日。ふっと林の木の枝を見ると見たこともないような巨大なカマキリのたまご
を発見しました。「こりゃあ、でかい!」と大興奮。
枝ごとそのたまごを採集。7人兄弟の悲しさで、自分のパーソナルスペースは洋服ダンスの
引き出ししかなかったので、そこにそそとしまい込みました。
入れたばかりの幾日かは、うっとりとタンスを開ける度にたまごを見ていたのですが・・・
しばらくするとたまごの存在そのものをすっかり忘れてしまいました。
そして、春。
ある日の朝弟が、「あっ!カマキリがいるよ!ママ、赤ちゃんカマキリがいるよ!」と。
それを見た母が、「本当だ、かわいいね。どこから来たのかな」と同調。
その会話を聞いた瞬間にすべてを悟った僕が、タンスの方を見ると・・・
なぜか少し引き出されていたタンスから、弟が発見したちびカマキリにつながる
カマキリの数珠つながり!金色の糸を発見!ぎゃ〜!
僕とほぼ同時に、金色の糸を発見した母が、鬼の形相で僕に振り返りました。
かすかに口元が笑っていたのが、恐怖を倍増させました。うううっ。
その後の展開は、ご想像にお任せします・・・
ムシキングの武勇伝は、この一回だけではありません。
ズボンのポッケから金色の糸、筆箱から金色の糸、ベッドの隅から金色の糸、ああ。
どうして、あんなに怒られるのに、懲りずに繰り返したのだろう・・・
ちびカマキリの金色の糸。野山で見ると、微笑ましいですけれど。
ひゃー虫じゃーん!!
娘が大量に拾ってきたドングリから白い虫がこれまた大量に…
それでもドングリは捨てさせてもらえず…
仕方がないので、お菓子の箱に広げて、虫が出たら割り箸で摘んで捨てている母であります(-_-)
母はつらいよ…(虫は嫌い!)
ブックマーク、お断りなしにごめんなさい
今後とも、よろしくお願いいたします
先日の書き込み
「OK」のお返事と読んでいいのでしょうか??!
はじめまして です
実は今日と昨日の岩手県の公演を聴いた者です
帰りの車の中で あの人は若いのにすごいなあ
などなど 話で盛り上がりました
理念と現実とのギャップに日々疑問を感じているものとして 実践なさっているのはホントに信じられないことです
私は福祉の学校で勉強したわけではないので、正しい支援というものはよくわからないのですが
多少のリスクを犯してでも、いろんなことを経験することはいろんな意味で必要だとをもうのです
(リスクがあるからこそ!!)
と思いながらも、その人の人生観が自分のせいで大きく変わることには大きな責任を感じてしまいます
このジレンマをどう解消したらよいのでしょうか?
突然にすいませんでした
OKです。DVDもOKです。
よろしくお願いします。
パン屋様>
人の人生を自分が変えるというのは、恐ろしいですよね。
「あんたのせいで、人生踏み外した!」となぜか
ことあるごとに僕に迫る人が、僕の周りにもい
ますが、僕はその度に、「じ、自己決定でしょ!」と
動揺満々に応えます。
障害のあるうちのスタッフにも、ないスタッフにも、
いろいろな形で関わる人にも、僕は、その人の思いを
引き出しながら、丁寧に選択肢となるカードを並べる
作業をすることだけ手伝います。
その上で。「で、どうする?」と聞く訳です。
自分の人生は自分で責任を持って決めて下さいと。
人の人生を決定するなんて、恐ろしくてできません。
だから、僕は、選択肢となるカード並べや障害のある方の場合は、カード集めを手伝うのです。
決定は自己責任で。そうしてもらっています。
早速仕事に入らせていただきます!
・・・*・・・*・・・*・・・
選択できるカードを集め、並べるための努力こそ、私たちの仕事なのだ、と最近強く思っています。
重い自閉症の人の支援をしていると、1日のスケジュールを決めることでさえ、本当にこれでいいのか?と何度も問い直さずにはいられません。
「選ぶ・決める」ということが難しい彼らに、「選ぶ・決める」ことを伝えるスキルを、未だ充分に身につけられずにいる自分が悲しくなることもあります。
彼らが選びたいと思えるものを見つけだすことは、本当に難しい。。。です。
日々鍛錬あるのみ!
確かにそうですね
その人の人生なのでした
選ぶ力をつける手伝いが出来ればそれで良いのですね(それが難しいのですね…)
私がいろいろな事で楽しんでいる分、この楽しみをぜひ感じてほしいと思ったりしてしまうのです
それは、一方的な考え方でした
お忙しいところ、貴重な時間を割いていただき、本当に有難うございます
今後、さらに精進いたします
お体大切になさってください