ひとりの屋台は、やはり寂しいですね・・・今日は自治労の全国福祉集会で話をするために、博多に来ています。前日打ち合わせが1時間もかからずに終わり(唖然。このためだけに前日入りか?)、
打ち合わせて出されたお弁当だけではお腹が満たされないので、博多に来たなら、屋台に行か
ないとねと思い、屋台に向かいました。
博多の屋台は、気持ちいい風が吹く季節とあって、大賑わい。
目の前で料理されるからか、ほほに当たる風がスパイスになるのか、何を食べてもおいしく感
じられるのが、屋台マジック。

大好きな焼きそばにキムチを入れてもらい、焼き鳥を食べ、「九州きたら、芋焼酎ば、飲みた
か!」となぜか、にわか九州弁を心で叫びながら、焼酎を飲みました。
僕は、幼稚園の頃に1年間、熊本に預けられていたことがあるので、なんとなく、九州弁は、
懐かしい気がします。

「おいしかぁ!」すっかり酔っ払いになって、最後はこれで締めるしかないと九州博多豚骨
ラーメンを食べました。これまた、見た目よりすっきりさっぱりでおいしかったです。

ひとりで食事をしながら、ずっと、亡くなったうちのグループホーム利用者の2人のお母さんの
ことを考えていました。
とりわけ、ひとりは、一緒にふわりを立ち上げた5人のお母さんのうちのひとりでしたので、
同志をなくした気分で、すっかり寂しくなりました。
僕が目指しているのは、親がいなくなっても、どんなに障害が重い人でも、死ぬまで支援で
きる地域支援システムです。ですから、親に頼った地域支援システムはおかしいと、徐々に、
親のふわりという活動への参加を制限していったので、最近はふわりの活動自体に亡くなったお母さんが参加することはあまりなかったですが、それでも、陰に日なたに、必要に応じて、
僕達を見守り、助けて下さっていました。
亡くなる数時間前に会いに行ったときは話せませんでしたが、その数日前にお見舞いに行った
時はまだ、何とか話をすることができました。
僕が枕元で、「すごいいい準備してきたから、もし何かあっても、子どものことは心配な
いから」と言うと、かすれた小さな声で、「マカセテマス」と言いました。
「大丈夫。スタッフみんなで、子どもさんと一緒に生きていくから」というと、深く頷きました。ふわりの6年間なんて、世の中はかなり評価して下さっていますが、僕にすると、保護者の
健康というのか、寿命という時限爆弾に怯えながら、無理にスピード感を持って、仕込みを
してきただけだという気がしています。
本番はこれから。亡くなったお母さんが、傍観者達に「あんな若いバカな兄ちゃんのたわ言
にだまされて、気の毒なこと」と嘲笑されながら、まさに命をかけて作ってきた、地域支援
システムが、本当にその子どもさんを死ぬまで地域で支えられるのか。本番はこれから。
そして、それは、きっと、僕には見届けることのできない結末で。
僕を含め、多くの人が見た、どんなに障害が重くても人として大切にされ、当たり前の人生
を送れる社会を作るという夢の結末は、今いる若いスタッフへ、そして、まだ見ぬ、地域支援
を選んでくれる人たちによって、つむがれて行くのだと思います。
スタッフにその自覚があるかなぁ。
はぁ〜とため息をついて、屋台ののれん越しに、空を見上げました。
博多の夜は明るくて、お母さんの星は見えませんでした。